凍れる音楽

奈良市

工人の心

天武天皇が大海人皇子だった頃より、苦楽を共にした皇后鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)、後の持統天皇が680年(天武9年)に病に倒れた。天武天皇は皇后の病気平癒を祈い、薬師如来を本尊とする薬師寺の建立に着手。
皇女は回復したものの、天武天皇は寺の完成を見ないまま686年(朱鳥元年)に崩御。薬師寺は天武天皇の遺志を継いで持統天皇が完成させた。薬師寺東塔の銘文には、天武天皇の発願と記述されている。
薬師寺の伽藍や回廊の修復に長年携わってきた石井浩二さんは、石井さんの師匠である〝薬師寺の鬼〟と畏れられた西岡常一棟梁の言葉「やるならば、創建当時の工人の心になってやりなさい」という言葉を紹介している。
中央に本尊を祀る金堂、東西に二基の塔を配する伽藍配置を取り入れられたのは当時の日本では薬師寺が最初で、この伽藍配置を「薬師寺式伽藍配置」と呼ばれるようになったという。実際に薬師寺を前にして立つと、創建当時の工人の矜持が伝わってくるかのようである。

金堂

金堂

裳階の奏でる音楽

現在の奈良県橿原市から明日香村に広がる藤原京から奈良市から大和郡山市に位置する平城京への遷都に伴い、718年(養老2年)に移された薬師寺の多くの堂塔は、長い歴史の中で火災や地震で失われてきた。
1976年(昭和51)年に再建され「金堂」は、二重の建物で、上・下層とも裳階(もこし)と呼ばれる飾り屋根がが備え付けられることで、四重の建築に見える二重二閣入母屋造りである。薬師寺では「東・西塔」「大講堂」の三棟が裳階付きの建造物である。
分けても唯一、創建当時の姿が現前できるのが東塔である。730年(天平2年)の建立とされる薬師寺東塔は、三重塔でありながら各重に裳階が各層に取り付けられている。裳階は、雨打(ゆた)とも呼ばれ、屋根の大小がリズミカルに連なる精緻な構造は「凍れる音楽」と称されている。

東塔

 東塔

東塔全面解体

   

高さ34メートルの薬師寺東塔は、長い歴史の中で幾度となく修理が施されてきたものの、近年の調査でとりわけ塔を支える心柱の痛みが激しいことが分かった。創建以来1300年を経た2009年(平成21)に史上初となる全面解体修理が始まった。約1万3000点の材を組み直す大規模な修理となった。大きな空洞ができていた心柱の上部に新たにヒノキ材を継ぎ足し補強され、心柱を元の位置に据え直す儀式「立柱式」が執り行われ、2021年(令和3)2月15日に竣工した。東塔の高さのおよそ三分の一を占める相輪の水煙には、笛を吹きながら踊る奏楽天人、花籠を捧げる天人、蓮のつぼみを捧げ持ちながら降りてくる天人の姿が刻まれ、天平の人々の仏教に対する憧れが躍動的に表現されている。
大規模修理の完了を祝う落慶法要が2023年(令和5)に営まれた。法要にはおよそ2000人が参列し、東塔の扉が特別に開けられ、塔の前に設けられた舞台では、修理にあわせて作られた本尊に魂を入れる「開眼の儀」が華々しく行われた。

東塔細部

 東塔細部

西塔

 西塔