集い、憩い、学びあう

大阪市中央公会堂

大阪の知と文化と歴史

北の堂島川、南の土佐堀川に抱かれるようにすっくと建つ大阪市中央公会堂は、1918年(大正7年)開館以来、大阪市民に中之島公会堂と呼ばれ親しまれてきた。正面アーチ頂上に佇立する商業の神メルクリウスと科学・工芸・平和の神ミネルヴァの像の元、市民が集い、憩い、学びあう、大阪の知と文化と歴史のシンボルである。

アーチファサード アーチファサード外観

大正時代の夢

 

赤煉瓦の壁、屋根のドーム、大アーチにステンドグラス、クラシックな装飾が施された列柱に窓。1909年“義侠の相場師”と呼ばれた株式仲買人、岩本栄之助たった一人の寄附によって建てられた。

建物外観 建物外観

公会堂デザインは、設計競技で一等を獲得した若干29歳だった岡田信一郎によるもの。岡田の原案に基づいて実際の設計を指揮したのは、“東京駅の建築家”として知られる辰野金吾。大阪における辰野のパートナーの片岡安と協働である。「ネオ・ルネッサンス様式」の建物には西洋文化に憧れを抱いた大正時代の夢が凝縮されている。

赤煉瓦と白い花崗岩 赤煉瓦と白い花崗岩  

公会堂と同時期に施工が進んでいた東京駅にもみられる、赤い化粧レンガに「覆輪目地」。赤レンガとコントラストを成す白い部分は、本物の花崗岩と、花崗岩に似せた「擬石」を使い分けている。公会堂の場合、東側正面は5本のボーダーより下と玄関回りのみが本物の花崗岩で、上の方は擬石が使われている。

エントランスホール エントランスホール ホール天井 ホール天井   

2018年に100歳となった中之島公会堂は、1999年当時は老朽化が進み、解体が取り沙汰されたこともあったが、市民の熱望や多くの募金が寄せられ工期約4年・総工費約101億円を投じた保存・再生工事が施された。2002年(平成14年)9月に現在の姿となった。
工事は『歴史的建築物としての保存と、創建時への復元改修に加え、古い建築物に高い耐震性を与え甦らせる「免震レトロフィット」や、時代のニーズに応えて次世代まで活用できるよう、スロープやエレベーターを新設するなど大掛かりなもの』となった。(大阪市中央公会堂HPより)
2002年に国の重要文化財に指定され、令和の今も市民の文化・芸術の活動拠点であり続けている。